オレンジリング

認知症サポーター養成講座

受講時間は約90分程度

開催場所:株式会社おりがみ デイサービス福ふく

(名張市赤目丈六243)

講師:佐伯典彦(主任ケアマネージャー)キャラバンメイト

<認知症サポーターとは>

認知症サポーターキャラバンにおける「認知症サポーター養成講座」を受講した者 を「認知症サポーター」と称する。 認知症サポーターは認知症について正しい知識をもち、認知症の人や家族を応援し、 だれもが暮らしやすい地域をつくっていくボランティアである。 認知症サポーターには講座実施主体者からシンボルグッズである「認知症サポータ ーカード」等を授与する。

<認知症サポーター養成講座の開催要件>

認知症サポーター養成講座の開催は、その目的・対象者などの位置づけを明 確にし、そのうえで以下の開催要件を満たしているものとする。

○実施主体者

都道府県・市町村等の自治体および全国規模の職域団体等とする。
NPO 等への委託も可とするが、介護サービス事業者およびその団体は対象と しない。

○講師

・キャラバン・メイト

○対象者

地域住民、職域、学校、広域の団体・企業等の従事者など。 ※介護サービス事業者がその従事者に対して実施する研修(職員研修等)は、 認知症サポーター養成講座として位置づけることはできない。

○講座内容

基本カリキュラムにそった内容により実施し、カリキュラムの時間配分は目安 とする。

○講座の所要時間

おおむね 1 時間 30 分を目安とする。

基本内容を押さえたうえで、対象者に合わせて適宜、構成・調整する。

○使用テキスト

キャラバン・メイト養成研修で使用される『キャラバン・メイト養成テキス ト』に準拠する下記教材を用いることを基本とする。 その他、本教材の趣旨を踏まえた内容の教材・資料等を地域、対象者に応じ て活用することもできる。 

ここで、キャラバンメイトの佐伯に少し触れていただけることを。

2020実践学会賞

障害者のマラソン伴走を29年続けてきて思うこと

佐伯典彦

1、始めたきっかけは?
 関東に住んでいた高校の時は、「へたくそな」水球部員。まぐれで合格した岡山の大学時代は、国立競技場の水泳指導管理士の資格を取り、スイミングクラブのイントラクターのバイト(大学にいる時間の倍は、バイトしていました)。卒業後は、関東地方の市社会福祉協議会の仕事を経て、総合専門学校の専任教員に。バブルで5年経過したら管理職になり、その後の5年間の間に体重が69㎏(現在57㎏)になりました。人間ドックでは7つ要精検で引っかかる始末。やむにやまれず走りだしました。転職し東京の専門学校のスポーツビジネス学科と福祉サービス学科の専任教員になり、墨田区駅伝に出場したりしていましたが、その同僚の1人は東海大学出身で箱根駅伝に2度出場したスペシャリスト。そして視覚障害者のマラソン伴走で、フルマラソンを走っていました。以前から私も興味をもっていたので、その同僚に教えを請い、茨城県の知的障害で弱視の方(国際盲人マラソンかすみがうら大会5㎞で連続入賞)と走りだしました。根性のない私が、千葉在住、東京在勤時には、1年にハーフマラソン8回、フルマラソン2回、駅伝2回に出場していました。32歳から62歳になった今も走り続けられていられるのも、33歳から始めたマラソンの伴走のおかげ(走って鍛えなければ伴走は続けられない)です。本当に情けない話です。
2、第2ステージ
 すでに名ばかりの夫婦になっていた両親は、母が栃木の宇都宮、父は大阪に単身赴任中。父は私の現住所に家を建てて4年で他界。父が不憫で私が今の家を相続するため、現住所に転居しました。特別養護老人ホーム介護福祉士兼短大非常勤講師、デイサービスの生活相談員をしながら通信制の大学院修士課程を修了し、居宅・施設のケアマネージャー、市地域包括支援センターの主任ケアマネジャーを経て、現在の仕事を預からせていただいております。転居後は、京都の弱視のランナーとの伴走(22年継続しています。視覚障害者京都マラソン3㎞で2回入賞)。地元の40歳代(当時)の全盲の女性ランナー(視覚障害者京都マラソン10㎞の部で連続入賞)や20歳代の先天性全盲男性ランナー(視覚障害者京都マラソン1㎞の部で連続入賞。2010年千葉国体後の全国障害者スポーツ大会出場、2020年三重国体後の全国障害者スポーツ大会出場内定)や、スポットで依頼が来たランナーとぶっつけで大会伴走していましたが、現在、この20歳代のランナーと地元の同じく20歳代の先天性全盲のランナー(岩手国体後の全国障害者スポーツ大会800m全盲の部優勝、1500m同2位入賞。認知症高齢者の在宅生活継続を啓発する全国ラン「run伴」連続出場中。)を中心に、津市の盲ろうの男性ランナー(全く聞こえず、手話は、視野狭窄のため、目の前中央しか見えません)や弱視の女性ランナー(左右斜め45度の位置が見えます)と走っています。
3、視点の変化・学び
 走り始めた頃は、私もまだ若く、伴走練習で視覚障害者のランナーが大会で入賞を果たすことで、そのランナーの自信を導き出し、生き生きとした生活を支援できました。その後、盲人ランナーが、大会で続けて入賞したため、ランナーも私も「競技入賞本位」にランと伴走支援に傾斜していきました。その間、1人ではとても賄いきれなくなり、障害者マラソンボランティアグループを組織(とはいっても、かなり緩い付き合いです。そもそも管理的なことは、以前の仕事の痛い経験から、すっかり嫌になっています。現在も…。)しました。地元のタウン誌や新聞の地方版に記事提供したところ、すんなり三重県内から伴走者が集まりました。しかし、「自分の名誉欲」で入会した方や、「してやっている」発想で入会した方は次々に脱会していきました(その脱会後も、「俺はマラソン伴走やってるんだ」と吹聴していたようです)。1つ目の学びは、「マラソン伴走者は、伴走者であるケアギバーで、障害者であるケアテイカーではなく、互いがケアパートナーであることを理解できる人」だということです。でなければ継続できません。伴走者である私たちは、障害者との伴走ができるように、普段から練習し、伴走の練習や大会に臨んでいます。しかし、視覚障害者は、伴走者がいなければ、走る大会・走る練習はできません。地元の40歳代の全盲の女性ランナーは、名張市から70㎞離れた大阪のマラソン伴走ボランティアグループの支援を受けるため、電車を乗り継ぎ練習会に参加していますし、津市の盲ろうの男性ランナーは、80㎞離れた名古屋の障害者マラソン伴走グループの練習会に、手話通訳者を手配して参加しています。しかしこの盲ろうのランナーも、月間70㎞しか走れていないと話しています。伴走をしながら、走れないから練習できないのか?ではないことに気づきました。仕事柄、高齢者の介護支援をする中で、自宅にエアロバイク(自宅で運動できる自転車)をもって自主トレーニングをいる方もいます。私は、時に盲人ランナーから、自宅でできる自主トレーニングメニューの助言や相談を受けます(伴走者からもあります)。実際、盲人ランナーの中には、かなり高価なトレッドミル(ルームランナー)をもっている方もいますが、7000円くらいから、スポーツショップでエアロバイクが購入できますし、簡便ないすに座ってできるルームランナーなら3000円くらいからあります。ステッパー(足踏みできるマシン)も、3000円から10000円以上と価格はさまざま。腹筋支援マシン「ワンダーコア」を紹介したこともあります。鉄アレイ3㎏を両手で振ってもかまいませんし、臍見腹筋の上半身トレーニングや、椅子に座って片足を7分半伸ばして上げる(結構きつい!)、枕を膝の内側に挟んで、太ももの内側に筋肉を鍛える。立って踵を2分上げれば、膝から下の足の筋肉も鍛えられます。伴走者がいなくても、例えばご主人がウオーキングをしながら、ひもをもって、盲人ランナーである奥さまが、キロ10分より遅いペースでスロージョグをすれば、十分練習はできます(スロージョグは普通のランでは鍛えられない筋肉の鍛錬ができます)。2つ目の学びは、伴走者がいなければ練習はできないのではない。ということです。また、障害者のマラソン伴走者を募集する際、市社協のボランティアセンター募集で入会した方は少数で、大会で一緒になったマラソンランナーや記事媒体を読んだランナーからの応募がほとんどであったことから、3つ目の学びは、最初のマラソン伴走者応募者は「福祉発想」ではなく「競技者としてのランナー発想」に傾斜していることです。また、三重県内の大会ですと、走った後、美味しい食堂・レストランや元湯の温泉も豊富で、走った後はお互いに「お楽しみ」のご縁がいただけます。京都の大会ですと、自宅近隣の近鉄名張駅から京都まで、有料特急に乗る。市営地下鉄に乗り換える。大会参加後、一緒に食事をしたり、大浴場で一緒に入浴したり等の「お楽しみ」のご縁がいただけます。そのためには、伴走ランナーは、「ガイドヘルパー」の知識や、食事の「クロックポジション」を使った説明も必要になります。食事をしていれば、障害者特有の仕事や日頃の生活上の悩みの相談もあります。伴走者自身の「頭のキャパシティ」を広げていかなければ、とても対応できません。4つ目の学びは、「競技者としてのランナー発想」の方が、「福祉発想」に傾斜し直すこと。マラソン伴走は、その障害者の生きがい創造をする中で、障害者の生活全般を支えることに繋がる。ということでしょうか。
 また、視覚障害者は、1つの感覚がない分、残りの感覚が研ぎ澄まされています。京都の視覚障害者と初めて、約1.5㎞の周回コースを7周、10,5㎞走った際、「1周通過8分14秒です、2周通過14分50秒です、3周通過21分30秒です。」と1回言ったのにも関わらず、走った後7周分のラップを、その方は見事に再現できことばにされたこと。別な京都のスポットで走ったランナーは、走る前に、本人希望で「あなたの頬を触ってもいいですか」と言われ、私の頬を両手であてると「あなたは、胃腸が弱いでしょう。」と言い、その日かつての教え子が股関節の手術で、手術の成功を祈念しながら走ったのですが、走った後同じように頬を触らせてほしいと言われ、そうすると「あなたは走りながら、福祉的なことを考えていたでしょう。」と言われたこと。また、今走っている全盲の視覚障害者は、デイサービスの機能訓練指導員(あんまマッサージ師の国家資格を取得している)で、本人自宅から施設までの行程で、時々練習していますが、「ここは、利用者のAさんのお宅の前です。」「ここは利用者のBさんのお宅の前です。」と全て言い当てられるし、1回走った大会のコースは、全て頭に叩き込まれています。その記憶力や感覚の鋭敏さに、そのたび冷や汗や驚きを感じました。それと同時に自分が、正眼でありながら、できることをせず、どんなに持てる力を無駄にしているか思い知らされます(煩悩具足の凡夫です)。5つ目の学びは、伴走している障害者に尊敬の念を抱けるか、その一念をもって伴走できるか、ということです。津市の盲ろうのランナーも、上場企業に勤務しながら、自らSNSで全国に情報発信していますし、福祉活動に支援従事しています。津市の弱視のランナーも、盲学校であんまマッサージ師の後進を育ててくれています。
4、まとめ
6つ目の学びは、「人間の生活の質=身体的・精神的能力×繋がり・関係性」ということ。障害をもっていて、身体的能力が劣っていても、走り仲間との練習・大会参加、語らい。その他社会参加を促すアクションを伴走者がすることで、障害をもっていらっしゃる方の生活の質は落ちないということが理解できます。
最後の学びは、「それ突き詰めたら、自分の都合でしょ。」というささやきを聞くこと。伴走支援をしていると、時々こんなささやきが聞こえる時があります。このささやきが聞こえるから活動が続けられるのかもしれません。自分がいいことをしている気になったら続けられないかもしれません。自分の「善」は所詮自分の都合という「毒」が混ざっている不完全な善にすぎないと自覚し続けることだと思います。
(さえきのりひこ。居宅介護支援事業所ハッピーウッド 主任介護支援専門員)

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